中野幼稚園のあしあと(沿革)
近鉄大阪線の起点、阿部野駅から南へ10分、針中野駅で下車して東へ徒歩100メートルのところに中野幼稚園があります。
古くは百済村と呼ばれていた地名から察しられるとおり、朝鮮半島に栄えた百済の国との縁(えにし)深い土地柄、この地域の文化の中心ともなったところです。
中野幼稚園が創設されたのは昭和27年、その頃周辺には田や畑が近くに広がりを見せ、完全に市街化された現在の姿からは創造できないようなのどかさが感じられました。本園がある東住吉区には、なぜか公立の幼稚園はありません。幼児教育は古くから「私」の手ですすめられてきています。
それだけに地域に根を下ろした幼稚園としての姿がつくりあげられたともいえそうです。
本園が戦焼の寺跡地の現住所につくられたのは、周辺の人たちの幼稚園設置の強い希望にこたえたもので、現在の少子化の時代では想像できないほどの子どもたちの歓声が、ここ中野幼稚園で聞かれたものです。
木造の園舎にマッチする形で植えられた、たくさんの桜の木が、春には見事な桜花のトンネルをつくり、秋には柿の木がたわわに稔りのときを知らせてくれました。
ここで育ち、そして巣立って行った人たちは、社会で大きく貢献し、そして今、新たな幼な子がその日のために力を蓄えています。
現在の園舎は平成3年に建てかえられたもので、中野幼稚園の園歌に歌われている「お庭の桜 きれいな桜」の風情も今では想い出の中に残すだけとなり、周辺地域の大きな変貌とともに、人が変わるだけでなく、年々歳々家も町の風景も大きく様変わりし、新しい時代への移り変わりをしみじみと感じさせています。
平成15年には園舎が増築され、1階のピロティ部分は園庭として新しい広がりを加えています。
また、平成22年には園庭に築山とビオトープを作り、さらに子ども達の豊かな遊びが繰広げられています。

体育ローテーションでは、丈夫な体とやり抜く気力を育てます。
和食中心の給食では、健康な体づくりを支えます。
そして、自由遊びは、人とのかかわりの基礎を学び、
自分の気持ちやお友達の気持ちにも気づく、かけがえのない時間です。
その中で自ら考え行動することの楽しさを見つけます。
これらの活動に加え、様々な教材を使って子ども達の興味と関心を呼びおこし、学ぶことの楽しさを体験する中で子どもの持つ可能性を引き出します。
6クラス18名の先生と小規模ならではの行き届いた丁寧な教育で、
一人ひとりの個性を伸ばします。
これが中野幼稚園です。
中野幼稚園 園長 米田 雅之